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Your search : [ author:本誌 丘桓興] Total 1140 Search Results,Processed in 0.092 second(s)
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1. 物価はたしかに上がったが……
先日、東京にいる日本の友人から手紙がきた。長年、北京でいっしょに仕事をしていた人である。「中国で二十年以上生活したが、中国の近年の変化についてはもうあまり分からない。最近は物価が上がり、市民は貯金をおろして物を買っているそうだが、市民の収入や生活はどうなのか」と。物価の上昇この友人の気がかりは、ちょうどいま中国でいちばん問題になっていることだ。たしかに中国では近年物価の上昇が激しい。十八インチの中
Author: 本誌 丘桓興 Year 1989 Issue 1 PDF HTML
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2. 「北京蜂王精」の不思議な効能
近年、学校の試験時期になると、子供に「北京蜂王精」を飲ませる家庭が多い。(蜂王精はローヤルゼリー)そのせいであろうか、「北京蜂王精」はたいへん売れ行きがよいそうである。いくつかの実例取材のため、筆者は「北京蜂王精」の製造元である北京栄養補剤廠を訪ねた。まず、工場長代理の呉光啓さんの説明を聞く。ここ数年、ローヤルゼリーの服用者の数は毎年大幅に伸びている。その三分の一は、十三歳から二十歳、中学生から大
Author: 本誌·丘桓興 Year 1989 Issue 2 PDF HTML
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3. 北京烤鴨(ペキンダック)
今年の元旦のテレビ番組に出演した外国人留学生に司会者が聞いた。「中国で最も印象的なものは?」「北京烤鴨(カオヤ)!皮がパリッとしててホントにおいしいんだもの」金髪のヨーロッパの女子学生が間髪を入れずに答えた。小麦粉をてのひらほどに薄く焼いたものに、烤鴨と、みそとねぎをくるんで食べると、「真是太美了(トビキリノアジ)!」北京人はよく烤鴨店にお客を招待したり、烤鴨を贈り物にしたりする。内外の観光客も、
Author: 本誌·丘桓興 Year 1989 Issue 4 PDF HTML
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4. 腎機能障害治療の大家 張大寧氏
T君は筆者の親しい友人で、五十歳を過ぎたばかりのインテリである。十数年来、机に向かって忙しく働く生活がつづき、精神的な緊張から過労を招き、ついには健康を害してしまった。昨年の春から倦怠感や無力感を覚えるようになり、腹が張ったり不眠症や目まいの症状が現われるなど、さまざまな病気に苦しめられた。性生活もうまくゆかず、やがて早漏や陰萎といった性機能障害をきたして、人には言えぬ苦しみに悩まされたのである。
Author: 本誌·丘桓興 Year 1989 Issue 11 PDF HTML
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5. ミャオ族の竜船節
この夏、中国西南部の貴州省(略称は黔)を旅行したが、豊富多彩な民族色が印象的だった。道端でおめかし八月十九日の午前、私たちは黔東(チエントン)南州の首府凱里市を出発、麻江県の下司鎮という所の竜船節を見に行った。続々と集まってくるミャォ(苗)族の村びとはみな楽しそうだ。ハレの装いをして、民族楽器の蘆笙(ろしよう)をかかえているのは、蘆笙大会の会場へ急ぐ人たちだ。水牛をひいてゆっくりと歩いている壮年の
Author: 本誌·丘桓興 Year 1989 Issue 12 PDF HTML
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6. 貴州の少数民族芸術祭を見る
●巻頭フオト参照中国の西南部の貴州省には、ミャオ(苗)、プイ(布依)、トン(侗)、イ(彝)、シュイ(水)、コーラォ(仡佬)、トウチャ(土家)など十四の少数民族が住んでいる。昨年の八月、この貴州省で九日間にわたって民族芸術祭が催された。民族的風情に富む歌と踊り芸術祭の開幕式は、貴陽市体育場で行なわれた。それぞれ民族の盛装をまとった舞踏チームが数十組出場し、緑の芝生の上のはなやかな幕開きとなった。トウ
Author: 本誌·丘桓興 Year 1990 Issue 1 PDF HTML
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7. 火鍋
近年、北京では火鍋(ホオグオ)が盛んになってきた。冬に入ると共に羊のしゃぶしゃぶ―涮羊肉で有名な、しにせの東来順飯荘はもとより、町なかの店でも火鍋を出すところは客でいっぱいになる。だが、寒いなかを店に出向くよりもと、市民の多くは家庭で火鍋のなべと木炭を用意し、羊の肉とタレを買ってきて、休みの日などに家じゅうでなべをかこんで楽しむ。厳寒のこの時期、火鍋史というようなものを考えてみるのも一興ではないだ
Author: 本誌·丘桓興 Year 1990 Issue 2 PDF HTML
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8. ふるさと 今 昔 客家の村
広東、福建両省の境にいる客家(ハツカ)の人びとは、特有の文化と伝統を持ち、土楼や囲屋といった城郭のように巨大な集合住宅で生活していることで有名だ。 私も客家の一人だが、客家というのはもともとは山西、河北、河南一帯の中原の遺民なのだ。千六百年前の西晋時代末に始まった五胡十六国の混戦、唐代末の黄巣の義挙、宋代末の、蒙古貴族騎兵軍による中原席巻というふうに、長い間、戦災と自然災害による不作に悩まされた黄
Author: 本誌·丘桓興 Year 1990 Issue 6 PDF HTML
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9. 吊り橋·浮き橋
「山あれば道を開き、水あれば橋を架ける」とよく言われる。自然の障害を乗り越え、交通の便をよくするために、中華民族は昔から才知を発揮して、大河や渓谷にさまざまの橋を架けてきた。虹のような形をしたアーチ橋、楼閣のある橋、開閉式の浮き橋、深い谷間に架けた吊り橋……。以下に中国の橋の文化と源流を紹介することにしよう。「術因蛛網得」―吊り橋の伝説一九八〇年代の初めごろ、筆者は中国西南部の辺境、雲南省の取材に
Author: 本誌·丘桓興 Year 1991 Issue 4 PDF HTML
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10. うどん
中国で「麵条(ミエンテイアオ)」(“長いめん”の意味)と呼んでいるうどん類は、世界のいろんな国で喜ばれている食品である。日本の多くのサラリーマンは昼飯にうどんを食べ、イタリアの年間一人当たりうどん消費量は三〇キログラムに上ると聞いているが、日本、イタリアのそれが中国から渡っていったのは確実で、うどんの“故郷”は中国だと言ってよい。切る削る抻(のば)す拉(ひ)く皆宜し―豊富多彩なうどん類まずその作り
Author: 本誌·丘桓興 Year 1991 Issue 5 PDF HTML